ニュージーランドにて

アントニオ 増島忠弘

 

(カトリック八王子教会報「熱心」二〇〇五年六月号掲載)

秋口のせいか空気が乾いている。さほど強い日差しではないが、目に入る光はかなり眩しく感じるためサングラスは必携だ。南方からの微風があり、肌寒い。一時間かけてスピードダウンし、入港に備え手動操船できる状態とする。日本人と同様ニュージーランド人も時間は正確だ。間もなくオレンジ色の船体のパイロットボートが見えてくるだろう。数名いるパイロット(水先人)とは、何回も寄港しているので、顔なじみとなり、安心して気持ちよく操船を任せられる。ここニュージンランド・リトルトン港は、ニュージー第二の都市で、南島では最も大きなクライスト・チャーチという街の外港である。東方面に開いた港で、西に延びた水路のような天然の入江が、東方向以外からの風波を防いでいる。東からのうねりも、入口が北東方へ向いているため、直接港には届かない天然の良港だ。

 入港時右手北側には、断崖絶壁が立ちふさがり、左手南側はなだらかな牧草地が広がり、米粒のように羊の群れが見える。三万七千トンの本船にとってこの風光明媚な景色は、その水路の狭さゆえ、圧迫感を与えられる。水路内では、同じ大きさの船同志すれ違うことは出来ないほどだ。潮流に注意し、位置を確認しながら注意深く進み、コンテナバースに着岸した。船長である私にとって、この着岸の一瞬ほど仕事の完遂感を与える事柄はない。

 昼食も終わり、自室でくつろいでいると、ノックをする音がした。本船のチーフメイト(一等航海士)が私に相談があるという。彼の説明によれば、先ほどファーザー(牧師または神父)が乗船し、もしキャプテンの許可が降りれば、ミサをしたいということだった。宗派は特に言わず、エキュメニカル・マス(ミサ)だと言う。船乗り生活二〇年余であるが、上陸してミサにたまたま授かれたことはあるが、船内でのミサの体験はない。私もカトリックだからぜひ、やろう!とチーフメイトに言うと、彼も嬉しそうにうなずく。ちょうど昼休みなので、今からやろうと相談した。

 来船したファーザーに宗派を聞いたが、はぐらかされてしまった。エキュメニカル(統一ミサ)ということなので、余り宗派のことには触れたくないのだろうか。急ごしらえの祭壇をレセプション・ルームに作る。普通のパンを細かくサイコロ状に切ったものが入れた透明の容器と1L紙パックのオレンジジュースが、にわか作りの祭壇の上に置かれている。乗組員のほとんどが参加している。ファーザーが皆に式次第を配ってくれた。

 ミサの始まりは、私達が毎日曜日授かっているものと大差はない。

 「主は皆さんとともに」「また司祭とともに」のような英語での応対から始まった。

その後、神への賛美の祈りのようなものが行われた。そして各自ろうそくを渡され明かりを灯した。そして回心の祈りが式次第に沿って祈られる。

その後は、主の晩餐への導入と続く。このあたりもほぼ主日のミサと変わりがない。

そして賛美歌二三番、「船乗りの歌」というのを、唱えた。

最初の数節の英語を訳して紹介する。

「主は私のパイロット(水先案内人)私は迷うことがない。主は暗い海を照らし、深く安全な水路に私を導いてくれる。主は私の速力をも、しっかり維持してくれる。

主の名を呼び求めるところには、聖なるスタートがある・・・・」

そして主日のミサと同様、パンと葡萄酒の奉献の儀式があった。ファーザーより、乗組員皆にパンとジュースが配られ、共に食した。

最後に船乗りから神への取りなしの祈りというのが行われた。「私達の航海が安全なうちに終了しますように、アーメン」という祈りで終わった。

 現代の大型外航船の停泊時間は最長でも一昼夜、通常は六・七時間しか港に停泊していない。その短い間にたくさんの貨物の上げ下ろしを行う。乗組員はその仕事のためにいろいろな作業を行わなければならず、上陸もままならない。そんな慌ただしい中にあって、今回のようなエキュメニカル・ミサは、私達に心の平安を与えてくれたとても良い体験であった。

神に感謝。

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